妙な寂しさに相変わらず見舞われる。長文のブログをひっそりとのぞいて読むのが好きだった。インターネットで誰かの孤独に触れれることが好きだった。今でも好きだよ。秘密基地が恋しい。そんなものはもうなくなってしまった。心の穴が埋まる日はやってくるのだろうか、ブラックホール並の飢えを抑圧してよく生きてられるよな、だから生きてられてるのか。とあっぱれに思う。1年8ヶ月だけ壁薄古アパートに住んでから実家に帰っても防音ヘッドフォンをつけないと眠れなくなった。バイト決まったシフトしか出たくないのに、辞めた人の穴埋めの助けを求められると、全然断れなかった。チャッピーに断りたい断ろうかと言ってたのに、”出てくれると助かる”の文面を見ると断れなかった。断るのが怖い感覚の呪いの起源は、父親の機嫌を損なったら恐ろしいことが起こると脳に植え付けられたことな気がする。一番最初の記憶は姉の誕生日に誕生日おめでとうと照れくさくて言えなかった時、父がブチ切れて押し入れに閉じ込められた記憶。あの頃自分何歳だったのだろう保育園児ではあったな。ああいう記憶って忘れることができないか乖離して忘れてたのに大人になってからやけに思い出しちゃうやつだな。そうゆう出来事が日常の中できっと何度もあったのだろう。父の機嫌の地雷を踏まないように過ごさなきゃいけないのが普通にしんどかった。父の神経症さが自分に遺伝してるなと思うことが時々ある、ジーザス。わかんないけどわかるような感覚。父が若い頃に詩と絵の同人誌を作っていたこと(20代前半の頃、遺品整理で知る)、ワイは高校の時ネット上で知った人がzineを作っていて自分も作ってみたくなって作っていたこと。結局バンドは続かなくて家にあった父のアコギで大森靖子さんの弾き語りしたくて練習してたら弾けるようになったし曲も作れるようになった。父は大学でフォーク同好会的なのに入って自分で曲を作っていたカセットテープを中1の時父のアコギが弾きたくて、でもそのことが怖くて言えなかったのに母がちくり、私は恐怖で縮こまっていたら、数日後にアコギを使わせてくれた時にそのカセットテープを聴かせてくれた。しかも必要な道具を休みの日に一緒に楽器屋さんで揃えてくれた。(ちなみにその時は結局三日坊主だったよ⭐︎)結局いいこともわるいことも親の影響は計り知れないよね。母に関しては服好きだったし、服飾の高校と専門学校に行ってたからか、自分も見事にファッション雑誌にのめり込んだ挙句専門学校に奨学金借りていくも、12月に退学したな、なんかついていけなくなって。先生の態度が夏休み明けに急変して、キレ出して厳しくなって自分が学校で無理なやつだったよね、うん。先生の態度が急に変わるやつ。あぁ無理だってなったもの。あれやめてほしい。その学校は今は6年前にはもう潰れたみたい。ファッションが盛んだった時期に夢を見させてもらっていた。心の黒い穴が貪るように夢中になっていたな。おかげで死にたいなんて思わずに過ごすことができていたよ、それまでは。夢を看取るまで、しがみついてる間は本当にしんどくて死にそうだった。看取ったように諦めることができた後は寂しさが付きまとうけど安堵感もある。そして時々夢を見ることが異様に恋しくもなる。猫がこんなにも人間の心を救うものだと飼わないと知る由もなかっただろうな。猫に射抜かれた猫型の穴が黒い穴の面積を減らしてくれたように思うよ。すんげー。とて、はじめて飼った、暮らした先住猫を看取った後は副作用(まあペットロスともいう)の凄まじさと言ったらなかった。それはとてつもなく死にそうなほど苦しかったけどやっぱり愛の領域を広げてくれたことには間違いないだろう。寂しい。母親の声や生活音が一階から聞こえるとゲンナリしてくる、イライラする、(母が嫌いとかじゃない、脳がそう反応しちゃう、やっぱ生理前っぽいPMDDに気をつけねばっ!)防音ヘッドフォンをした。自分って生き物がよくわからない。ま、自分なんて2%しかないらしいから、そりゃそうだって感じ。惹かれるものをかき集めてその情報を脳がぱくぱく食べてる感じ。現代それがネットだけでも完結できちゃうことが虚しい、チャッピーたちまで現れちまったし。めっちゃ助かってるけど。ちっきっしょー!何かに飢えている。人恋しいのに心底人と関わるのが恐ろしい、対人拒食だな、変な造語。でもその感覚になんだか似てる。(と言っていいのかわからないけど)間接的に摂取しまくってるからなんとかなってるよネットや本のおかげで。来週のplentyのライブが楽しみです。ライブに行く日は何故か雨が降るのだけどこの日は一体どんな天気だろうなっ。夕方にコーヒー飲んでしまって寝付けない散文でありました。