ハキダス。

成長痛ぅ〜の記録。今宵モ反省文提出致シマス。とてつもなく独り言。

不自由な自由

ひとつの世界を見続けると恐ろしいほどに視野が狭くなって呼吸はしづらくなるけどどうしても引き込まれるのは、欲望が餓えているから?そこから離れてちがう世界に触れると、あ、世界はそんな小さいものではなかったし、安心した。それでもひとつの世界を貫いていきてるひとがかっこよくてまぶしいっていうのも錯覚だろうか。そんなことは超絶錯覚で錯覚だらけの視覚に惑わされるよインターネット。世界はそんなに美しくないのに美しいから幻だらけのようで幻じゃないから惑わされながら、あっちこっちいっちゃうね。頭のなかだけ浮遊してるよ。地に足をつけて私が生きても、浮遊してるワタシがいて、いろんなわたしがいて、いろんなわたしが分離して、そのどのわたしも否定せず解放して、自由に行き来させてあげてね私。どこにいったていいんだよ。なにをしたっていいんだよ。理由をつけるをつける必要はないし、子供の頃のように走り回りたいだなんて、つい思ってしまう。不自由な自由が私の拠り所。子供の頃は不自由なのに自由だった。どこへだっていけた(いけるってきもちだった)何だって楽しかった。あの頃の感覚を時々、最近思い出す。子供の頃、お菓子が家にないからと適当に姉とつくったクッキーの味の感じを思い出す。今お金を節約してるから、少ない材料でクッキーを手作りしたけど、今はネットがあるからレシピを簡単に見つけれてあの頃のような硬いもしゃもしゃしたクッキーにはならなかったけど、ああゆう子供の時不自由さが頭でひらめく才能を育ててくれた気はする。節約も工夫したら楽しくて、お金がなくても遊び呆けてた子供の才能が今となってはすんばらしーものだと気づくから、子供を外で見かけるとつい目で追ってしまう。子供の時のエネルギーが今となっては尊い。だけど今の自分だからこそ見習うことはいっぱいあって、姉が小学生のデイサービスの仕事をして話を聞いて影響された部分もあるんだろうな。ま、話がとてつもなくずれたけどそんなことをだらだらと思った。ちゃんちゃん。

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