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ハキダス。

成長痛ぅ〜の記録。今宵モ反省文提出致シマス。独り言。

偽りの自分

今までの自分は偽りの自分だったのかもと考えるようになった。

今、嫌いな自分、嫌な自分を見なくちゃいけないのかもしれん。あまりに自分の自信を失うようなことばかり自分にしてしまって。何にも手がつかなくなってしまった。あ、食べることに執着し、物欲に走り、人との関わりを避け、自分の意思を失くして、自分ではなく誰かの意見に従い、責任を逃れ、無責任に生きている。自分のことを嫌いになるようなことばかりしてたんだって私。自分を殺して生きてること自体、自分を否定している。憎しみの沸き方が最近ひどくなってきた。今加藤諦三の「自信」っちゅうのを三日くらい読み中。少しずつ。。図星すぎて苦しいのだ。ちゃんとリストアップした方がいいかもしれない。あまりに何かに執着している自分がいるし、挫折したことからまだ逃げているのかもしれない。何もかも中途半端に逃げているし、自分がいけないことを他人のせいにしてしまう時だってある。家族に対してのたまに沸き出す憎しみは依存的なものだろうな。今、私は家族に依存して生きてる。何も考えないようにただ生きてる。そんな自分を潜在意識では否定してる。だから時々爆発するし。この本読んでたら家族のこと、今までの人間関係のこと、過去を根掘り葉掘り思い出さなきゃいけない。その作業が結構しんどいねぇ。でもやる。そんなことを繰り返してばっかいる。

自分というのが私は統一してなくて分裂してるらしい。今ある意識と潜在意識が統一してないから自信を失うらしい。確かになと思ったよ。

人間のぐどぐだぐにゃぐちゃ感を思い知らされるよ。いいんだか、悪いんだか。現実から逃げているんだなって思い知らされる。今まで自分がやってきたことがもう、何もかも崩壊しちゃったように錯覚させて逃げているのだろう。現実に向き合うのは辛いからとあるはずもない無駄な恐怖を作り出した。思考なんて膨らむ一方で現実、何も変わっちゃいない。子供の頃そんなに私は抑圧された世界にいたのだろうか。あれが私にとっては世界だった。可笑しいのにね。夏休みの宿題が終わらなかっただけでものすごく学校へ行くことへ恐怖を感じて、あれから不登校気味になった。不登校気味といっても、母親に無理矢理連れて行かれる、を繰り返していた。あの時を思うとやっぱり可笑しかったと思う。それは父親の意思で母親の意思ではなかったけど母親は父親に従うただそれだけだった。私の話は正当に聞かずただ無理矢理連れて行かせた。先生も同様だった。あの時は私は本当に悲しかった悔しかった悲しかった。泣き叫んでも泣き叫んでも連れて行かされた。私のSOSは否定され続けたってことさ。母は時々こっそり休ませてくれたこともあったけど。結局のところどうだったのか。何を思っていたのかわからないね。この本を読むと”幼児的一体感”ちゅう言葉が出て、なんやそれと読んでいたのだけど、ある親は子供にその幼児的一体感を求めるらしい。私の親はそうだったのか。父親は家族を支配していたのは確かな気がする。父親は高1の時に自殺をしたのだけど、今私はそのことが頭にこびりついてきて、誰にも言えなく、なんか無駄に苦しんでいる。そのことを理由にして現実から逃げてることもある。修羅場から、人と対立することも、なんだかそーゆう事の何もかもを。ここに書いたって何もかわらない匿名で書いたってまた思考が分裂しそうなのに一生つきまといそうなのでまーいいんだ、吐き出せるうちに吐き出す。本当の私はこんな感じ。というか本当の私ってものがもうないんだけどわかんないのだけど。対面を繕う事にもう意味が生まれてこなくなってしまった。いかんとは思うのだけど。もう今まで偽っている自分のままで生きたくはないのだけどどうしてもその面があって消し失せたいと思っても消し失せずビクビク怯えている。今できている自分はつくられた自分で自分の意思は破片でしかなくなっている。それでも生きてはいるんだけどイキイキ生きることはなくなった感じになって。自己否定が朝目覚めた時からひどくて、ちょいとよくないなと思っている。あの感覚は苦しいのだがそうしたのは自分だからね。いつだってあんたが逃げ出すから、私が私を殺すから。いなくなったんだよ。

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