ハキダス。

成長痛ぅ〜の記録。今宵モ反省文提出致シマス。とてつもなく独り言。

心です、やっぱり。

ちょっとのほどよいストレスも耐えられねえ、みたいにその数十分、頭の中でぐるくるしていたけど、すきなブログとか画像とかを少しだけ見てたら落ち着いた。少しだけが大事かもね。
やっぱりすきなんだよなぁ。すきを否定しまくって、わけがわからなくなって、自分から"支え"を否定し出すと恐ろしいと分かった、わかってる。けれど理性がもうきかなくなるほどの心の疲弊がやってくると簡単に制御できない。
それまでに己から逃げながら、自分のあーほ、くそったれーって傷つけながら、自分と向き合えるようになって、理解しあおうとする。結局私は私からは逃れられない。逃れようとしてた。今もしてるんだよ。


ほどよいストレスから逃げないようになりたい。出来れば逃げたいとすら思わなくなってしまいたい、けどそれは難しいだろうし、まるで自分じゃないから、やっぱりこえーーこえーーって言いながら好きな人やものやことを信じて支えられながら生きていくしかないのかもな。
信じるって難しい。最近、自分がすきなものを自分は好きなのかすら疑ってる。から、わからないって嘆いてる。あほだなー。でもそうなんだから仕方ない。そう思ってしまう自分に嫌悪してる。

ずっと私の中でぐるぐるしてるのは"心"だ。心の闇、奥、目には見えない、根元らへんのこと。私はなにがしたいのかわからない、わからない、わからない、わからない、くるしい、あ、どうしてあのときにげたの?どうして好きなことができた環境へ入り込めたと言うのに逃げてしまったの。たくさんループし出す過去の記憶。過去の記憶を思い出したってなにも変わらない、と過去を思い出すことを否定する私がいる。その否定がまた私を傷つける。抑える。自信をなくさせる。そう、いつだって自信がない。だけど、だから、やっぱり本当にちゃんと自分と向き合わないといけないんだね。くじいても、ぶっこけても、慢性的悲観落ち込み期がやってきも、とにもかくにも向き合わなきゃいけないのは自分だ。誰でもない私。イッツミーなんだよ。

私は心の問題がすごく気になる。自分のこともだし家族のことも。自分が経験したことのない知らないことも。父が死んだことにすごく執着がある。やっぱりこの問題からは逃げれないし逃げちゃいかんのかもしれん。頭のなかで膨らんでいく。考えてるとぐわぐわして、だけどそこから昇華していかないと腐ってドロドロが頭ん中に溜まってもうろうとしてくるから。私は言葉にして書いた方がいい。へたくそでもいいし、なにいってんのかわかんねえ文でもいいから、私の心は私の心の中に溜め込んだもん、吐き出せ!!!!って言ってる。訴えてる。
逃げようとしたら引っ張ってくれるのは自分でしかない。最後は結局自分の意思で生きないといけないよね。私はまだそれがなかなかできなくてムダに苦しいんでいますし、ムダに自信消失させている。自信を潰してるのは自分。芽を取り出してるのは自分。愚かだよな。一種の自傷行為だった。痛かった。悲しかった苦しかった。憎悪で包まないでよ、思いやりで私を包んで。憎悪は思いやりを一気に殺すし、身近な人に伝染していくから恐ろしい。そんな風になった自分が恐ろしい。もう、こうなることはないって思った、前も思ったのに、憎悪でいっぱいになった私の心、またなった。もうあんな後悔はしたくない誓ったのに、忘れ、責任転換した私がそこにいた。今思うと恐ろしい。今のところはおさまった、ゆっくりやわらかくしていく。何度も繰り返していけばいいんだよ。ね。何度も繰り返さないといけないことは悪いことじゃなくて大切なことなんだ。忘れちゃいけない。忘れちゃうけど、忘れちゃうからまた思い出して、向き合って、苦しくても逃れたくても、繰り返す。繰り返していい。繰り返すことが大事なのかもしれない。
他人の言葉よりも何よりも自分の言葉を信じれるようになりたい。自信を持ちたい。自分を一番信じれるのは自分。
他人に迎合してばかりいる自分が苦しい。つれーのよ。我にかえるとこう思えるけどその時の自分はもう自分を殺すことに必死です。無意識に嫌われないよう、傷つけないよう、傷つかれないようにすることに必死すぎる。われにかえると笑えるね、こんなことに毎日私は必死なんだ。ばかみたい。だけど無意識にしてる、どうにかしたいね。気づけてよかった。
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